高取焼の歴史      




鷹取山です。

この山の左側になる北側山麓の谷川沿いに窯はありました。














約400年ほど前に焼かれたものです。

出土品を見ると実に変化に富んだものが多いです。

茶道具から普段使いの皿類から甕や擂鉢まで。

黒田藩の御用窯としては10年間ですが、それ以後も
残った一部の職人達によって民窯として継続して活動
されていたようです。



発掘した出土品の写真
写真



発掘品の抹茶碗です。

この類の茶碗は以前は唐津焼きとされていましたが
昔の古内ケ磯窯の発掘調査により高取焼として認知
されるようになりました。







高取焼が始まったのが今から約400年前の江戸時代初期の頃。

それより10年程前に唐津を治めていた松浦氏が秀吉に滅ぼされ、唐津岸嶽諸窯も廃絶し、数人の陶工達が
高取焼 開設に伴い参加しているために、唐津焼の技術がそのまま流入しています。

よって、今となっては高取焼と唐津焼の判別が付きにくくなっています。

つまり、近年まで高取焼の存在が一般に知られていなかった為に、高取焼の作品が唐津焼として分類されて来ました。

ところが、最近になって宅間窯と内ケ磯窯の発掘調査により、今まで唐津焼とされて来たもののどの窯のものか判別されなかった作品群の出自が一気に解明されてしまったのです。

唐津のどの窯の物か判らなかった有名な名品と同じ類のが続々と出土してきたのです。
ギャラリー、始めてのあなたへ戻る